じりじりと。自分を包囲するその間隔が狭まってきているというのは東北の気のせいではないはずだ。
そして彼らの表情が妙な緊張感を持って強張っていることも。
「……何がしたい?」
「いやですね、先ほどから申し上げているじゃないですか。それともその耳は飾りものでしたか? ファステックでもあるまいし、取り外せるものでもありませんでしょうに」
己を取り囲んでいた者のうちでは一歩後ろにいた男が口調だけはおっとりと、しかし己に理解する頭がないのかと嘲るようにその言葉を口にする。
立場からすれば一応自分の方が上。そう考えれば腹も立ちそうなものだが、まったく器用なことだと感心してしまうのはこの集団の異様な気迫に押されているからだろうか。それともその一見穏やかな笑みがどこか自分の知るとある人物に似ているような気がするからだろうか。
呆れたと肩をすくめる姿が妙に様になっている彼は、そんな東北の様子などどうでもいいとばかりにそれで、と話を続ける。
「それで、上官。覚悟はお決まりになられましたか?」
「覚悟?」
「だから、何度も申し上げているでしょう。少し我らに担ぎあげられてくださればいいだけですよ」
「それは聞いた」
そう、その言葉自体は何度も聞いたのだ。
今ここに彼らがいるのは自分を担ぐためだと。
この事務所に彼らが東北を訪ねてきたのはたった数分前のことだ。それからの展開などさすがに忘れるはずもない。……理解したくもないのだが。
そう、それは本当に数分前のこと。
在来線の制服を着た数人と東の職員達とで構成されたこの軍団は、大宮で一人事務処理を行っていた東北の元に突然現れたかと思うとあなたの時間を僅かばかり使わせてほしいと訴えたのだ。
訝しげな上司の視線などものともせずに、なぜか必死な形相で詰め寄られてさすがの東北も気押された。しかしそれだけならまだしも、加えて新潟まで来いと言われてはさすがの東北も従うことはできずに現在にいたっている。
「おまえたちが私を担ぎたい、と言っているのはわかった。しかしなぜ私がそうされなくてはならないんだ?」
しかも新潟に行ってまで。
それは東北でなくとも当然の疑問だろう。
いい年をした男、しかも直接ではないとはいえ上司を担ぎたいとはどういう理由があればそうなるというのかさっぱり想像がつかない。
理由が分かればいいということでもないが、理由がわからなければ梃子でも動く気はないという東北に、その在来線は仕方ないとでも言いたげに口を開いた。どちらが無理を言っているのかわからないような態度だ。
「かなり納得もできませんし腹がたつというかむしろいっそあなたがいなくなった方がいいのではないかとも思いましたが……いえ、まあ癪ですがひとまず全線開業はしたわけですし認めて差し上げようかと」
隠そうともしない不穏当な発言が聞こえてくるが、ここでいちいち口をはさんでいては話が全く進まない。
おとなしくただ視線で続きを促せば、彼は今の話の流れとどう関係あるのかという言葉を切りだした。
「うちの上司を幸せにするおつもりは当然あるのでしょうね」
「……は?」
らしくもない頓狂な声が出たことに、その場で突っ込める者は誰もいなかった。
うちの上司。
と、新潟の在来線に言われる存在など一人しか該当しないだろう。東北にそれを言うのならなおさらのことだ。
だが。
「……俺が?」
彼を幸せに、とはどういうことか。
無意識に出た声に、しかしそれを聞き咎めた周囲は色めきたった。
「あなたは責任を取るつもりがないと仰るつもりですか!」
「人でなし! 冷血漢!」
「われらの上官に対して申し訳なさはないのですか!」
「人非人! 風にずっと負けていろ!」
「くうぅっ、なんでこんなやつに……!」
「……いや、だからどういうことなんだ?」
さりげなくでもなくかなりの暴言が飛び交った気もするが、人非人といっても確かに人でないだろうと混乱した頭ではそれくらいしか考えられない東北には追求することもできない。
そんな東北を見守っていた神様がいるわけでもないだろうが、今にも泣きわめいて襲いかかってきそうな剣幕の彼らをとどまらせる声が室内に凛と響いた。
「何やってるの?」
「上越」
それは、つい今しがたまで話題の渦中にいた彼。
そして、東北が今の存在として生まれたときから唯一の相方と自認している上越新幹線その人だった。
「……何、みんなこんなところまで」
部屋を見渡しているはずのない部下たちに目を丸くする上越は、偽りなくこの状況に驚いていることがわかる。
つまりこれは上越の差し金ではないということか。
ふむ、とやや落ち着いた東北は現状をありのままに伝えることにした。
「俺に用があるらしい」
「東北に?」
くるりと見回した先にいる彼の部下たちは一様にどこか悔しそうな表情だ。そんな部下たちを見て、上越は不思議そうに目を瞬かせた。そして首をかしげながら東北へと視線を戻す。
「それで君なにやったの?」
「なんで俺が何かやったという話になるんだ」
「だって、なんか責められてたみたいだし? わけもなく皆がこんなところまで来るわけもないじゃないか」
冬の北国を走るのは生半なことではない。その業務を置いてまでこうして結構な人数が来るというのはよほどのことがあるに違いない。
そう考えた上越に別に東北も否やがあるわけでなない。しかし、なぜそれがすべて東北の責任となるというのか。
「君がなんか押されてるし。別に怯えるような相手でもないだろうに」
「怯えてはいない」
「そう?」
確かに周囲を取り囲まれていられれば押されているように見えるかもしれない。ましてその身長は平均よりも高い東北よりさらに高い者が多かった。
「おまえのところは背が高い者が多いからそう見えたんじゃないのか」
「ああ。まあうちは多いかもね」
「身長があるのは当然でしょう」
急に口を挟まれて、そう言えばまだいたのだと東北はその存在を思い出した。
上越と話していると周囲が見えなくなっている、というのは誰に言われた言葉だっただろうか。
東北がそれを思い出そうとすれば、上司たちの間に割って入るように彼は言葉をつづけた。
「背が低いと雪に埋もれてしまうじゃないですか」
少しでも背の高い方が視界が利く。その説明に東北はなるほど、と手を打った。
しかし次の瞬間頭に衝撃が走り、その攻撃の主を見上げる。
考えるまでもない。呆れたような表情の上越がそこにはいた。
「なるほどじゃないよ、そんなバカな話鵜呑みにするな。……君も東北をからかってる場合じゃないだろ。向こうはどうしたの」
「大丈夫ですよ、みな快く送り出してくれました。ここにいるのは運を引き寄せたごく一部の有志一同です」
運を引き寄せたとはどういうことなのか、これでごく一部というからにはどれくらいの人数がここに来たがったのか、というより結局何をしに来たというのだ。
ぐるぐると回る疑問は言葉になることはなかったが、上越はそんな東北の思いを拾うように問いかけた。
「で、結局どうしたの、僕にじゃなくて東北に用って」
「まあ一月は過ぎましたけれども」
「? うん」
確かにもう2月も末だ。しかしそれがどうしたのか。
まるで意味のわかっていない上司二人は揃って言葉の続きを待つ、と。
「一度我々に投げられておくべきではないかという話が持ち上がったのですよ」
にこやかに。どうやらこの軍団の代表であるらしい彼はそう告げた。
やはり意味がわからない。しかし東北はその言葉に別の引っかかりを覚えた。
「担ぐのではなかったのか?」
「ええ。担いで投げ落とすんです」
担ぐ上に投げる上にさらに何か増えている気がするのだが。
「一部では新潟まで来させるよりいっそその窓からの方がいいのではという意見も上がったのですが、さすがにそれは上官に対して失礼だろうと思いまして」
いままでの行動は失礼ではないような言い草に、ある意味感心してしまう。ここまでくればいっそ天晴れというものだろう。
そしてここまで言われても肝心の理由が説明されていないことがわざとではない、ということはあり得ないだろう。ならばそれにはどういう意味があるのだろうか。
おまえにはわかるか、と問いかけようとした東北は横にいた彼の顔がさあっと染まっていくのに気づいた。
「……上越?」
先ほどまでの半ば疲れたような投げやりな表情はどこへ行ったのか。こわばった表情の彼の顔はすでに耳まで真っ赤だ。
それはなんのためなのか。
「上越」
「うるさい」
自分の名を呼ぶ東北に目を向けることもなく、上越は部下へと声をかける。それはまるで感情を押し殺そうというかのように努めて平坦に話そうとしているようだった。
「……東北には投げられる理由はないだろ」
「おや、そうでしたか?」
本当に? そう何度も念を押す彼は上越の言葉など全く信じていないかのようだ。
それに気づかないはずもなく、上越はかっと声を荒げた。
「当然だ! だいたい僕がなんで……」
「上越」
いったいどういうことなのか。東北にはさっぱりわからないが、この様子では上越は理由がわかったということなのだろう。
ならば教えてほしいと促せば、彼はきっと東北を睨みつけたかと思うとすぐにまた視線をそらした。
「上越?」
そんな彼は珍しいと顔を覗き込むように近づけば、綺麗な手がそれを遮ろうとするかのように東北の額へと当てられる。
「知るか、自分で調べろ!」
そのままべしっと額を叩かれて後ずさる東北を横目に、上越は踵を返した。
「本当に東北が投げられることなんてないんだからな! 僕もう行くから!」
「おい?」
まるで逃げるように部屋を出ていく上越に、上げかけた手が宙をきる。
「……何なんだ?」
「まあああ仰ってることですし。まだ認めないでいいということなのでしょうね。我々としてはその方が良いですが」
部下たちが去った数時間後。
新潟の一部地域では、その地域の嫁を貰った婿を雪山から投げる風習があるらしい。
山形にその話を聞いた途端東北は走りだしていた。

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