まず、うちの上越上官観というものから考えなおしてみよう。
私コミックスを拝見して、その前後でブログも拝見して「捻くれ者の寂しがり屋」というところと、東北上官の好きなものを嫌いなものに上げたところがなぜだかすこん、とつぼに入って上越上官にはまったのですよね。
なんで捻くれたか、開業前の不幸伝説を調べていくうちにできてきたこと、というのが高速鉄道としてあるためのプライドの高さ、というか、私の中での上越上官の価値観を形成したというか…。
つまり、うちの上越上官は高速鉄道として、お客様を快適に目的地へ運ぶ、ということが第一で、それは=自分の価値なのです。逆に言ってしまうと、他に自分の価値というものを何も見出していないのです。もし、たとえ自分の容姿が綺麗だと言ってもらえても、だからどうしたの、という感じ。綺麗、かもしれないけどそれに何の価値も感じていない。何か利用できることがあればそれは利用してしまうだろうけれど。
ミニや長野と違って国鉄時代にできて、政治新幹線、我田引鉄と言われてきたけれど、実際にお客様を運んでいるという、必要とされていることは十分価値を感じられていた。それはもちろん数からいえば王様にかなうことはないし、双子として生まれた片割れとも比較できることじゃないけれど。豪雪地帯を孤立させない一つの命綱としての役割を感じられていた。あと、ひねくれていても双子、という支えもあったかと思う。片割れがいるんだもの。一人じゃなくて、同じように走って、同じ場所へと走れば待っている、会える人がいるんだもの。
それは心強いことだったのではないかなあ。
ともかく、東北には本線がいて、上越にはそう名のつけられた路線はないけれど、高崎もいるし、と今までの私なら思えてた。
でも新刊(実はまだ拝読しておりません)にて兄がいると知ってひどくショックを受けました。その時もなんでそんなに衝撃だったのかわからなかった、でもずるいと反射的に思ってしまった。今考えると、東北の周りには大事な人(本線、兄、ミニのふたりなど)がいっぱいいるように見えるからかもしれない。上越上官にはそういう意味で大事な路線ってなかなか見つけられないから。そりゃ地元の在来とかいるだろうけれど、いまのところ出てないし、一次で考えるには私の妄想力と勉強が足りないのです。長野はかわいいけどかわいいだけじゃなくて、本人にそんな気はなくても、実際はそうでないかもしれなくても上越上官を脅かす存在だから。
そして、最近よく思い出されるのが、某漫画の言葉
「あの方はご自分の愛情を剣に、殿の愛情を盾に戦っていらっしゃった。その盾がなくなったから…」
ものすごくうろ覚えなのですけれども。
ようするに、高速鉄道として走っていられることを剣に、双子新幹線の片割れとして生まれたことを盾に、という感じで考えてしまったのかなあ。(自分のことなのにはっきりしませんね;)
双子として生まれて。一人は北を縦断する存在。一人は日本海から横断する存在。本当は立ち位置は変わっていなくても、きっと上越上官にはそうは思えない。東北上官をまったく違うものとして育っていく存在にしか思えていない。自分は高速鉄道であるということしか縋るものはないのに、それはもう4年後どうなるかわからないもので色々なものに脅かされている存在で、でも片割れは延伸するしむしろ他者を脅かす存在となっている。大事な兄がいて、だから弟という立場でもあって、本線という存在もいる。
今はまだ剣がある、何か大事なものを切り捨てても走れる。でも、4年後には壊れてしまうものかもしれないし、盾はその存在自体が本当にあった物なのかあやふやになってしまって、身を守るすべは何もない、ぼろぼろな体のまま走り続けている、そんな状態に思えてしまうのです。
自分で補完できないのだから、いっそこのCPじゃなければいいのにとも思うのですが、脳内の上越上官は、自分の片割れは彼だというのですよ。他の誰の言葉も東北上官の一言にはかなわない。
我ながら難儀な妄想です。
双子の片割れでなくても、高速鉄道としているための努力は惜しまないし誇りを持って仕事をしている。でもだからこそ、そのプライドがあるから双子に縋ることなんかできません。
そして、双子の片割れ以外に縋れる相手なんて、その誇り高さゆえにいるわけがありません。
本当にどうしたらうちの上官に幸せになっていただけるのでしょうね。

PR
COMMENT